こんにちは!ボス猿です!
『雷雨ときどき晴れ』へのご訪問ありがとうございます。
ふう、もうすっかり冬になりましたねぇ。日中一人で過ごす家の中はとても寒いです。
この寒さの中、我が家のペチュニアレモンスライスはいまだきれいに咲き誇っています(;^_^A
最も長い学期である2学期もあっという間に残り僅かとなりました。
我が家の子供たちはとてつもないおしゃべりさんたちなので、それぞれがその日あった出来事を良いこと悪いこと含めたくさん教えてくれます。
そんな話を話半分で聞きながらいつも思うのが、子どもたちの世界ってとてつもなく過酷だなということ。
本日はそんな戯言をツラツラと書いていきます。
逃げ場のない極々狭い世界
いつも思うのが、子どもたちって本当に極々限られたとてつもなく狭い世界で生きることを強いられているなということ。
自分が小学生だったころにそんなことを思ったことはないし、子どもたちも今はそれが当たり前のことだと思っているけれど、大人になって子供たちの世界を見ると、どうしてもそう感じてしまうのです。
家庭、学校や幼稚園保育園、習い事と極めて狭い世界で子どもたちは生きています。
ましてや、それらの環境を自分で選ぶこともできないわけです。
例え環境を選ぶことができたとしても、そこに居合わせる共に過ごす人的環境は選ぶことができないわけです。
本当に過酷な生活だよなぁとよく感じます。
正義という名の刃
そして、純真無垢な子供たちは正義という名の刃を振り回します(笑)
子供たちってみな自分の正義とか自分の正解を前面に押し出してくるんですよね。
そして、実際それらはまさに正義であり正解であるわけです。
でも、裏を返せばそれは誰かにとっての悪だったり間違いだったりもするのです。
ボス猿、何書いてんだ??今日はどうしたんだ??って感じですが、何となく伝わればいいな・・・(笑)
我が子たちの話を聞いていると、まさにこの状況で、我が子たちも多分に刃を振り回しているな…と感じています。
我が子たちの話の中でよく出てくるのが、正義の名のもとに誰かを批判するということ。
聞いていると、確かにそれは正義で正しいのかもしれない。でも、その子からしてみると真逆のことが正義で正しいことなのかもしれないと思うことがあるのです。
大人にできることって何だろう
我が子には多方向から物事を見たり、柔軟な考え方ができるようになってくれたらいいなぁとぼんやりと思いながら、フムフムと話を聞きつつ、いろいろなことを思います。
もちろん、子どもたちの話を一通り聞いたら、子どもたちの主張は肯定しつつ、反対の考え方やとらえ方もあると思うよという話は都度しておりますが、子どもたちがどこまで理解できているのかは分かりません(;^_^A
我が子たちはもちろん、我が子たちの話に出てくる子供たちも絶対に救いが必要です。
我が子だけでなく直接的ではないにしろ、話に出てくる子供たちもまた守ってやりたいと自分の非力さを棚に上げて思ったりするわけです。
どこの誰かも知らない顔も見たことないおばさんが、自宅で少しその子の味方をしたからとその子が救われるわけではないかもしれません。
でも、ボス猿の話で我が子の行動が一つ変わるかもしれないなと淡い期待を込めて話をするようにしています。
さいごに
何だか今日のブログは具体的に書けないがゆえに、哲学的な感じになってしまいましたが、ただの戯言です。
ほんとにただただ漠然と感じていることをツラツラと書いただけの戯言なので、全く深い意味はありませんので、いろいろと突っ込みたい箇所があるかもしれませんが、そこはグッとこらえて下さいね(笑)
本日も長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
またご訪問いただければ幸いです。
ボス猿。