こんにちは!ボス猿です!
『雷雨ときどき晴れ』へのご訪問ありがとうございます。
大荒れから始まった長女の2学期。
一時期落ち着いていたのですが、その後はまた大荒れとなり、その状態が続いております。。。
運動会が近づき、練習で疲れがたまっていたこともあり、運動会が終わってからも、朝も晩もよく泣き喚いて暴れる日々を過ごしています。
長女自身も辛いのでしょうが、ボス猿もさすがに疲れ気味・・・
先日泣いている長女と話した内容を書き留めておこうと思います。
努力している姿はサポートを貰える
我が家の長女は癇癪が始まると、全くボス猿の言葉が耳に届かなくなります。
我が家の長女はというより、癇癪を起している人って大概人の声は届かなくなりますよね(;^_^A
何を言っても“いや~~~~!!!”と泣き叫び、全く建設的な話は出来ません。
こちらの言葉が届かないだけでなく、むしろ本人の意思も感じられないし、主張もない感じで、とにかく泣いて叫んで暴れているという感じ。
正直、この状態になると放置意外にできることがないのですが、声も大きいし身体も大きくなってきた分、暴れられると誰かがケガをしかねなかったり・・・・。
とにかく長女の癇癪が始まると、ボス猿にとっても長女にとっても非建設的かつ非効率、もっと言えば何も生産されない無駄な時間が始まるわけです。
でも、これが長女自身がこの状態から抜け出そうと何かしらの努力をしていれば、状況はがらりと変わります。
努力している姿が見えれば、それをサポートしてやりたいという気持ちにもなりますし、ボス猿もできることが見えてくるわけです。
長女にとっての努力
ただし、現状の長女は何か勘違いをしているようです。
長女にとって努力するということは、今気持ち的に絶対することができないけれどもしなくてはいけないことをしようと思ってグダグダから癇癪に発展するということになっています。
ボス猿も書いていて良く分からなくなってくるんですけど(笑)、伝わりますかね??
例えば朝起きてしんどい。学校イヤだな。公文の宿題するの嫌だな。朝ごはん面倒くさいな。→床で寝そべりグダグダが始まりやがて癇癪。というのが朝の癇癪の流れです。
この一連の流れから、ボス猿は長女の努力を見出すことができないわけです。
しかし、長女にしてみたら出来ていないけれども、しようと心の中で戦っていて、ものすごく努力をしている!!となっているわけです。
でも、ボス猿にとってはそれは努力ではないわけです。
そう、ボス猿と長女では“努力”の定義が一致していなかったのです。
ボス猿の言う『できる努力』とは
では、ボス猿の思う“努力”とは何か。
上記の状態となったとき、癇癪が始まるまでにすでにできうる選択肢をいくつか示しているわけです。
・まず顔を洗ってきたら??
・シャワーをさっと浴びても目が覚めるよ??
・温かいココアを入れてあげようか??
などなどです。
しかし、長女の答えは否!!これらの選択肢は絶対に選ばず、床で寝そべって愚図るだけなのです。
ボス猿からすれば、どんなに心の中で戦っていても、結局行動できなければそれは努力しているとは言わないわけです。
でも、長女にとって嫌なことをするために、行動レベルをワンランク下げて、行動ができれば、それは努力しているということになるわけです。
宿題は出来なくても顔を洗うことは出来る。
学校に行くことは出来なくてもシャワーを浴びることは出来る。
その小さなステップで、次の行動ができれば尚良しですが、自力では出来ないかもしれません。
でも、そうしたできる小さな努力をしてくれれば、次の行動への後押しをしてあげようと思えるのです。
さいごに
というような内容を、先日長女としゃべってみました。
喋ってみて初めて、長女とボス猿の間には“努力”の定義に乖離があったのだということに気が付きました。
一応話をして、長女もボス猿の言う“努力”の定義を理解することができたようでしたが、もちろんだからといってすぐに行動できるわけではありません。
しかし、まぁ定義が近づいてくれば少しずつ行動できるようになるかもしれないので、期待せず長い目で見ていこうと思います。。。
本日も長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
またご訪問いただければ幸いです。
ボス猿。